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ハウルのレビュー
・今回のレビュータイトル
「NANA#17」
さて、明日のトトロを目前に、1週間前に見たハウルのレビューです!
結論から言うと、話を見る映画ではなく、「1つ1つのシーン(演出)を見る映画」ですね(^_^A
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特に原作には無い戦争のシーン。
原作には無いエピソードだというのに、その戦争を終結させるという締めくくりが非常に適当です(--;
カブ頭のカカシは実は隣の国の王子でした>国に戻って戦争を止めさせましょう>それを見ていた宮廷魔術師も終戦の準備…
何だそれ∑( ̄皿 ̄
好意的に考えると、戦争の原因が王子が(呪いにかけられて)行方不明だったからとも考える事が出来ます。王子が行方不明になったのはハウル達のいる国の謀略だと勘違いしたとか、隣の国の主戦派が、穏健派の王子が邪魔で、呪いをかけて追い出したとか。
しかし、そういった説明が一切なされていないので、実はそんな事は無いのでしょう。あるいは「ああそうね、そういう解釈でもいいです」と言ったところか?
実は、作り手の目線で考えた場合、ここの部分の解釈は実に簡単です。
要するに「そんな所は、宮崎駿と言う人にとって、どうでもいい部分だった為に、出来上がった作品の中で適当になった」これが正解だと思われます。
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要するに、「臆病な主人公が、守るものが出来たから戦う」それをダイレクトに伝える為に戦争を入れたんでしょうね。
原作は読んでいないのですが、原作者が戦争を入れた事に大絶賛したという事を聞くと、(それが建前で無いなら)そういったハウルの行動の意味的な部分が原作と同じであり、そこの描写に成功しているからかと思われます。所謂「超解釈」ですね。

必要でないから説明を省いたと言えば「引越し」の意味。
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要するに、今までは扉が「どこでもドア」になっていて、あくまで城の方に本体が有ったけれど、この時の引越しでソフィーの家に本体が有って、「どこでもドア」で城何かがある方にも行けるといった風に条件付けが変わっており、その事を「引越し」と言っているのでしょう。
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だからハウルがソフィーの家を守って戦う必要があり、ソフィー達はハウルを戦わせないために「引越し」をする必要があった。
でも、リアルタイムでそれを理解しろって言うの無理Σ(=ロ=;
順を追って考えていって、初めて理解できるよ。
本来、こういった「魔法と言う現実には無い事の説明」は、普通の作品であればちゃんと説明するものだと思いますが、いちいち魔法を言葉によって説明して行くと、作品は安っぽく(理屈っぽく)なってしまうでしょう(最近のナルトの修行みたいに(--;)。
故に、言葉による魔法の説明を「必要ないもの」と切り捨てたセンスは、普通は出来ない部分です。映画という限られた尺の中で作品を作っている監督ならではのセンスでしょう。
そういったセンスには、功罪共に有りますが(^_^A

ちなみに、ハウルに共感できる部分は少ないのですが、それでも非常に深く共感できた部分が一つあります。
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メイジのギルド(宮廷魔術師サリマンとその手下たち)に目を付けられた魔術師と言う境遇に…orz
いや、D&Dのギャブレット君は、ハウルと同じ様に、メイジギルドとの関係が非常に悪いものでして、(魔術師でありながら)ノルウォルドの領主の一人と言う社会的な地位を得た事で、パワーバランスは保てたんですけどね…普通に力を付けて(レベルが上がって)きたら、間違いなくギルドと衝突してましたわ(--;
ギャブレットが領主になる事を前提として、あんな無茶な話作った、ガイ・ロックの中の人は凄い…あまりそこまで考えていなさそうで、結果オーライだった可能性が高い辺りが、さらに凄い(^_^A
だからこそ、エジソンさん大ブーイングの
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「敵?味方?」「どちらでも同じ事さ」は非常に共感できます(^_^A
ソフィー(国)にとっての敵味方など、(肩書き上は国家に所属していても)身一つしか持たない魔術師であるハウルにとっては関係の無い事。
むしろ、戦場で町が焼かれるのを見て来て、自分もそんな戦争に加担させられかけた魔術師が、戦場に向かおうとする軍艦に「ちょっと、ちょっかい出してやれ」と思うのは、同じ魔術師としては実に共感を持つ事ができます。
むしろ「落としはしない」と言うぎりぎりのラインを守っているハウルに「常識的だな」と感じました(^_^A
ギャブレットなら「人を殺す覚悟があるなら死ぬ覚悟もあるだろうし、そういう奴らが戦場以外で潰えるのは、皮肉の聞いた良い喜劇」とでも言うでしょう(^_^A
基本的に、アークメイジ(大魔術師)って、なまじ強大な力を持つだけに自分勝手で、上から物を見ている連中ですからw
比喩ではなく、水晶球とかで実際に見てたり(^_^A

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ハウルを楽しむ事ができるのは、全体的な話の完成度(一度、整合性と書いて書き直しました)よりも、シーンの一つ一つを重視する人(子供とか、フィクションをフィクションだと割り切って見れる大人)、あるいは、超解釈を受け入れる事ができる人のどちらかではないでしょうか?
私の場合は…楽しめたけれど、納得いかない所も数多くある作品です(^_^A
まだまだ頭固いな、俺(--;

> NANA
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いやぁ~、ホントにNANAという作品の良い所は、奈菜の「悪い奴じゃない駄目人間」なトコですね(^_^A
ある意味、「少女マンガ版のび太君」。
こういった話が嫌いな類のオタも、さすがに沈静化してきたし、話も動き出して来たので、ネット内での評価が回復しつつあるかな?
でも、夏休みだから、暇を持て余したオタ少年が心配だな…得に、女性に幻想を抱いているタイプのオタの、NANAアレルギーは凄いから(--;
でも、原作に忠実すぎて、特に語りたい事が無い話では、書きたい事がないのが問題か(^_^A
先週のネズミとか、先々週の尻出しとか、良いネタだったしなぁ…
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今回の話は、一言で斬るなら、やっぱヤッさんか?
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Comment

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ヤッさん、かっこいい!
やっぱりヤスはかっこいい!(゜∀゜)

と改めて思った回でした(笑)
グラサン外しても、かっこいいと思うけどなぁ…w

さて、ハウルですが、
戦争終結するシーンで、サリマン先生が
「この馬鹿げた戦争を早く終わらせましょ」と言ったことで、
影の支配者はこの先生か…(=∀=;)と思った記憶が(苦笑)
と、同時に、サリマン先生のキャラがよくわからなくなりました。
先生にとっては(も?)、戦争なんて始まっても終わっても、同じことなのか、と。「馬鹿げた」とか言いながらも、開戦させるし。
要は、ハウルを城に呼ぶ口実だったのかと。
それだけ、ハウルを気に入ってた、と(爆)(いや、あながち外れてもないんですよ。小姓全員が、子ハウル似だし(笑)

引っ越しの意味は、なんとな~くのニュアンスで分かってたような…。理屈じゃなくて、感覚で見てることが多いので(´∀`;)ゞ
話の展開がおかしいトコとかは、すぐ気になるんですけどね。

で、原作者が戦争を入れたことを絶賛したそうですが、
ハウル視点で描けば、それもいいと思うんですよ。
でも、主人公はあくまでソフィーだし、そのために話の焦点が見えにくくなったんではないかと。あと感情移入もしにくい。
ソフィーとハウルの恋の展開なんて、メインのハズなのに、
さっぱり共感できないですから(苦笑)
普通に、外見はおばあちゃんなんだけど、心は(実際)乙女な少女の恋を描けばよかったと思います。
ハウルの「ようやく守らなければならないものができた」云々をやりたいなら、ハウル主人公で描かないと。
どっちつかずで、どっちにも共感できなかったんですよね(苦笑)

だから脇キャラのカルシファーやマルクルについ目が行ってしまう(笑)

なんだか文がまとまってないですが(汗)
ハウルの話の要点をまとめると
「心を開かない孤独なハウルの心を、そのハウルに恋してしまった老女(少女)が、恋の魔法で(くさっ!笑)ハウルの心を開かせる」ということだと思うんですが、
それが戦争入れたことでかすんでしまったと思います。

う~ん、あんまり考えがまとまりません(爆)
それなのに、長々とすいません;;
紅桃 | URL | 2006/07/28/Fri 03:39 [EDIT]
re:紅桃さん
ヤスはやっぱり好きですね。
NANAの男性キャラでは、一番好きなキャラです。

> サリマン先生
宮廷魔術師と言う立場で考えると、サリマン先生にとって、戦争は腕の見せ所な訳です、基本的に、そういった有事に備えるのが宮廷魔術師の仕事ですから。
しかし、ラストの「ばかげた戦争」は、宮廷魔術師としてではなく、一個人としての感想かなと。
ハウルを気にかけていたと言うのはあるでしょう。個人的な好意もそうですが、魔術師と言うのは強大な力を持ちますから、弟子が何か不祥事を起こせば、その師匠には「力を与えた責任」と言うのが生じるのです。
ですから、相手の人格も良く分かっていないのに弟子を取ったりはしませんし、何かやらかしたら殺すぐらいの覚悟が無ければ魔術師の師弟と言うのは成り立たなかったりします。ちなみに魔術師は師匠など限られた者しか知らない「トゥルーネーム」を持っていて、それを使って呪いをかけられると抵抗する事ができないと言うのも良くある設定で、そういった世界観では、その真の名を知っている事で、師匠は弟子を従わせる事ができます(ゲド戦記だと、ゲドと言う名前が大魔術師「沈黙のオジオン」に授かったトゥルーネームで、生まれた時はダニーと言う名前だったし、まじない士の伯母からハイタカを呼ぶ術を教えられてから、周りの子供達にハイタカと言う通り名で呼ばれるようになる。トゥルーネームは普段使われないので、ハイタカと言う名が使われる)。勿論、弟子としてもトゥルーネームを知る師匠を亡き者にさえすれば、とりあえずは安泰なので、邪悪な魔術師がまず行う事は師匠殺しです。
和製ファンタジーに馴染んでいるとピンと来ないかも知れませんが、魔術師の世界と言うのは、そういった厳しいものだったりするので、弟子のハウルが、悪魔と契約していたと言うのは師として見過ごせない重大事です。
なお、力を持った魔術師は超越的な存在となるので、弟子が何かやらかして、世界が混乱しても自分に不利益が無い限り「取るに足らない事」で放置する人も多いです。そういった魔術師に「弟子の不始末の責任を取れ!」と言えるような国は無いでしょうし(^_^A
そういった人と比べると、サリマン先生は性格的にも、魔術師のLvとしても、ごくまともな方と言えます(宮廷魔術師という社会的な地位に価値観見出してるし)。
おそらく、ADDなら15か16Lvぐらいか?
ちなみに、ハウルや荒地の魔女は14Lvくらい、超越的な魔術師と言ったら20Lvオーバーでしょう。

> どっちにも共感できなかったんですよね
iいや、ホント、私も特殊な事情からハウルの境遇には共感できましたが、他はぜんぜんですわ(--;
ちなみに、「ようやく守らなければならないものができた」は「心を開かない孤独なハウルの心を、そのハウルに恋してしまった老女(少女)が、恋の魔法で(くさっ!笑)ハウルの心を開かせる」の後の段階で、そこからさらにカルシファーとの契約を解除して(分かり易い意味で)心を取り戻すのがラストシーンだと思うのですが、ソフィーが何かしたからハウルが心を取り戻した(大切なものが出来た)と言うのではなく、自然な関係でハウルが心を取り戻してゆくと言うのは、実は悪くないかなと思います。というか、描き方次第で凄く良くなると思います。
その部分(二人が故意に落ちる(笑)部分)で「得にソフィーが何かした訳ではない」からこそ、目に見える具体的な部分(契約の解除)でソフィーに頑張る場所を与えている訳ですし。
ただ、ここで問題なのも、キャラに共感しがたい事か(^_^A

ちなみに、原作者が絶賛した理由が上記のものだったにしても、監督的には戦闘描写を入れたかったと言うのが一番かなと(--;
黒川 | URL | 2006/07/28/Fri 21:20 [EDIT]

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